ただ、ひたすらに千葉ロッテマリーンズを応援するブログ

関西在住のマリーンズファンが、ひたすらマリーンズを応援する日々を書いたブログです。

野球場という、日常から隔離された世界。

「Take me out to the ball game,Take me out with the crowd.」

 

「私を野球場に連れてって」

 

野球好きなら1度は聴いたことのある、この歌。

 

良い歌ですよね。野球場でのワクワクが全て詰まっているような気がします。

 

世の中は未だ新型コロナウイルスが収束する気配はなく、プロ野球の開幕も全く先行きが見えていません。選手をはじめ、球団関係者やファンも球春の到来を待ちわびています。もちろん私も。

 

そこで、今日からの更新は暫くの間『がんばれ日本プロ野球』をテーマに、プロ野球の各球団が本拠地として使っている野球場について、私が実際に行った際のレポートも交えながら紹介していこうと思います。

 

ただ、初回の今回は、私が野球好きになったきっかけのお話。球場の紹介は次回からです。

 

突然ですが、野球観戦というものは遠足のようなものです。前日の夜から必要な荷物を準備して、何時に家を出発するか、どういうルートで球場にアクセスするか、球場に着いたらまず何をするか、その日にしかないイベントもあるので行動パターンを綿密に計画する必要があります。また、外野自由席などの場合は入場列の場所取りも大切な仕事。この場所取り次第で野球の応援を満喫できるかどうかが決まってきます。

 

と、まあ言い出せばキリがないのですが、とにかく野球観戦は行く前からワクワクが止まらないのです。それは何度球場に足を運んでも、いくつ歳を重ねても変わることはありません。

 

私の家族には野球好きの人間は誰も居ませんでした。実際、私も野球観戦とは縁のない暮らしをしていたのですが、テレビで野球を観るのは割と好きでした。大体の地方はそうだと思いますが、私の地域でもテレビ中継と言えば巨人戦か阪神戦でした。そうなってくると、必然的にファンは巨人ファンと阪神ファンに二分されます。私は特にどちらのファンという訳ではなかったのですが、唯一のめり込んだのは当時巨人に在籍していた、松井秀喜選手のホームランです。野球のルールもほとんど分からないような子どもから見ても、松井のホームランは特別でした。

 

鋭いスイング。本当に美しい放物線。時には弾丸ライナーであっという間に外野スタンドへ。時には滞空時間の長い超高弾道ホームラン。いずれにしてもバットがボールに当たった瞬間『それ』と分かるのは、私の中では後にも先にも松井秀喜だけです。

 

まさにテレビの中のスーパースター。いつか松井のホームランを野球場で見てみたい。それは私の夢でした。ところが、松井は2003年にメジャーリーグに挑戦することを表明。その後はみなさんもご存知の通り、メジャーの名門ニューヨークヤンキースに入団すると、なんとワールドシリーズMVPを取るほどの大活躍で、メジャーリーグの歴史にその名を残すことになります。ただ、結局私は松井のホームランを実際に見ることは叶いませんでした。これは今でも心残りですね。

 

ただ、この松井のメジャーリーグ挑戦がきっかけで、実際にプロ野球を観てみたいという想いがより一層強くなります。そして、家族に頼み込んで初めて野球を観に行ったのは、年に1度だけ巨人が大阪ドームに遠征をする試合でした。今でも鮮明に覚えていますが、座ったのは3塁側内野指定席。比較的レフトスタンド寄りでフィールドに近い席でした。正直そんなに観やすい席ではありませんでしたが、全てが初めての経験で、あっという間に時間が過ぎ去ったような気がします。確か試合は江藤智がサヨナラヒットを打ったような気がします。そのへんの記憶はかなり曖昧ですが。

 

それですっかりプロ野球観戦に目覚めてしまった私。

 

しかし、巨人戦が大阪で開催されるのは年に1回だけ。小学生が1人で東京ドームに行くなんてことは、その当時の私には想像さえできませんでした。となると、必然的に行ける球場は大阪ドームしかありません。つまりは、大阪近鉄バファローズの本拠地です。この近鉄との出逢いこそが、私をプロ野球の魅力に引き込むターニングポイントとなったのです。

 

野球を観に行くことを決めたはいいですが、いきなり1人で野球場に行くのは不安だったので、同じく野球が好きな友達を誘って近鉄の試合を観に行くことを計画しました。チケットは料金が一番安かった外野自由席のチケットを、当時まだ展開していたam/pmで買ったのを覚えています。

 

さて、いよいよ試合当日。前日に思いつく限りの荷物をカバンに詰めて、朝イチの電車に乗って大阪ドームに向かいます。ちなみに、初めての野球観戦は親に送迎してもらったので、大阪ドームへのアクセス方法はよく分かりません。それでも駅員さんに道を訊きながら、なんとかJR環状線の大正駅まで辿り着くことができました。そこからは、道を訊かなくてもユニフォームを着た人たちがいっぱい歩いているので、それに着いていけばちゃんと大阪ドームに到着です。

 

この日はデーゲーム。すでに球場の周りには人がたくさん。確か相手は西武ライオンズだったかな。西武のファンは少なかったように思います。外野自由席はどこに並べばいいのかも分からないので、チケットとにらめっこしながら、なんとか列の最後尾まで辿り着きました。なお、入場待機列に並ぶもの初めてだったので、野球場に入るためにたくさんの人が並んでいる光景には驚いたものです。

 

それと、この後に遭遇する事件が、おそらく私がこれまで経験した野球関連の出来事の中で、ある意味一番衝撃的なことかもしれないです……。

 

その時は突然やってきました。

 

列の先頭に陣取っていた、ちょっと強面のおっちゃんが瓶ビールのケースの上に乗って、拡声器を手にします。そして声を荒げます。内容は確かこんな感じだったかな。

 

「お前ら、こんな試合ばっかりで悔しくないんか! もう優勝諦めんたんか。ちがうやろ、まだ諦めてないよな。今日の相手は西武や。あいつらに舐められとったらあかんぞ! 俺らが気合い入れやな選手も気合い入らん。せやから、腹の底から声出して応援せーや! 分かったか!」的な内容だったと思います。

 

当時まだ小学生だった私的には、いきなり目の前で繰り広げられたバリバリの関西弁の応酬と衝撃的なゲキの入れ方を見て、正直かなり恐かったです。なんせ、この前の巨人戦は割とおしとやかな感じだったので、セ・リーグとパ・リーグの違いも分かっていなかった小学生には刺激が強かったですね(笑)

 

なお、後になってこの時の出来事を冷静に振り返ってみたのですが、当時の近鉄は2001年に久しぶりのリーグ優勝を経験したものの、それ以降はそれなりの成績を残しつつも、優勝には若干届かないという歯がゆい戦いをしていたので、それに対して応援団がゲキを入れたのでしょう。まあ、その当時はそんなこと知る由も無かったのですが。

 

そんなこんなでカルチャーショックを受けていると、気がつけば開門時間になりました。とりあえず、入場して場所取りをしようと試みます……が、先程の出来事が尾を引いて、周りの近鉄ファンが全員こわいです。で、結局席を取ったのは大阪ドーム名物の超絶急斜面の5階席。ここは、はっきり言って当時も今もだいたいガラガラです。安くゆっくり広々と野球を観るにはオススメの席です。私たちのような初心者にはもってこいです。

 

ようやく気持ちも落ち着いたので、売店で買った焼きそばをすすりながら練習を見ます。5階席から見下ろす光景は……はっきり言って選手は米粒くらいにしか見えません。

 

そうこうするうちに試合開始となり、なんやかんやと試合がどんどん進行していきます。西武優勢で試合が進み7回のジェット風船を飛ばしたあと、ぼちぼち5階席からの眺めにも飽きてきた私たちは、もうひとつ下の階に移動することにしました。

 

長い階段を降りて、ゲートを潜ります。場面は7回裏、近鉄の攻撃中……。

 

「ドンドンドン!!! かっとばせ〜〇〇! 西部をたおせーお!」

 

突然身体に襲いかかってくる、トランペットとドラムの爆音。

 

そして視界に徐々に広がる、どこまでも続くグラウンド。

 

見上げれば応援団が巨大な旗を振り、席を埋め尽くした近鉄ファンが力の限り声を出しています。

 

……もうね、全身鳥肌が立ちました。

 

なんなんだと。

 

この人たちは、いったい何をしているのか。

 

トランペットとドラムの爆音にかき消されそうになりながらも、腹の底から声を出して応援している姿は……なんてカッコいいんだ……。

 

その後は……気がつけば、空いている席を見つけて残りの2回、見様見真似で近鉄の応援をしました。

 

もっとも「かっとばせー○○」くらいしか応援は分からなかったし、恥ずかしいから小声でしか応援できなかったけれど、周りの見ず知らずの大人たちと一緒に、グラウンドでプレーする選手たちを応援するのがたまらなく楽しかった。

 

その日から、私は必死で近鉄の応援歌を覚えて(当時はYou Tubeなんて無かったので、応援団から歌詞カードをもらってボロボロになるまで覚えました)週末は大阪ドームのライトスタンドに通い、いてまえ軍団を必死に応援しました。

 

巨人なんかと比べると全然チームの戦力も違うし、選手もファンもガラが悪かったけれど、ボコボコに打たれたと思えば、それ以上にボコボコに打ちのめす『いてまえ打線』は魅力的だし、ほぼ常連さんしかいないライトスタンドは、気がつけば酒盛り会場になってしまうけれど、盛り上がった時に酔っ払いのおっちゃんとハイタッチをするのは楽しくて、すごくアットホームな空間でした。

 

ですが、近鉄はもうありません。

 

あまり詳しく書きたくはありませんが、私の大好きだった『大阪近鉄バファローズ』は無くなってしまいました。

 

実際に私がファンだったのは、ほんの1年程度でしたが、その1年は何物にも変え難く、私にとって本当に大切な時間でした。この時間がなければ、私がここまで野球を好きになることもなかったし、応援の魅力に気付くこともなかったと思います。

 

だから『大阪近鉄バファローズ』は私の宝物です。

 

これまでも、これからも……。

 

 

 

なんだか、思いのほか長くなってしまったので、今日はこれくらいにしておきましょう。

 

私が千葉ロッテマリーンズのファンになった経緯は、また次回以降に書こうと思います。

 

本日も最後までありがとうございました。

 

では、また!

 

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